五濁(見濁)

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
五濁とは
劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁のこと。
この五つの中で、まず最初の見濁から説明してゆきます。
見濁とは思想の濁りのことです。
私たちは何か思い通りにならない事があると、権力やお金などの力によって思いを通して問題を解決策しようとします。
例えば、嫌な仕事ばかりして苦しんでいる人は、出世したら好きな仕事をしてやるんだと思ったり、
貧乏で思い通りにならず苦しんできた人はお金持ちになったらやりたいことができるだろうと思います。
では、そう思うのなら、コツコツと努力して手に入れたら良いじゃないかと思うのですが、実際はその結果を得るためにはどうしたらいいか考えたり、努力をしたりすることはありません。なぜなら、結果を得るために時間をかけたくないのです。楽して結果が欲しい、結果は欲しいけど、その為に時間も労力もかけたくない、なるべく手間をかけずにすぐに欲しい。それが見濁なのです。
私たちは楽して結果を得られたならば、どんなに幸せだろうかと思っていますが、そうやって権力やお金を得て、思い通りに振る舞ったとしても、そこには喜びはなく、虚しさしか残りません。
それは、結果を手に入れるためにどうすればいいか考え、種を撒き、努力が実を結ぶまでくじけずじっと待った、という過程を経ず、形だけ手に入れても、手応えがないのです。そうやって権力やお金の力で思い通りに振る舞ったとしても、心の奥にはいつも後ろめたい気持ちがあり、自分に自信を持つ事ができません。
では、なぜ私たちはそんなにも権力やお金の力を求めるのでしょうか?
それは智慧がない為に思い通りにならない問題にぶつかった時に、どのように解決したらいいか分からず、種を撒いても本当に報われるのかが不安なので、お金や権力の力によって思いを通したり、責任をなすりつけることによって問題を手っ取り早く解決しようと思うからです。
また、コツコツ種を撒いて結果を得たという経験をした事がないので、自分が楽をして結果を欲しがっていたんだということも分からないのです。
このように智慧がない為に、どうしたら望む結果を得られるのかという方法が分からず、手っ取り早く思いを通す事ができる権力やお金を求めてしまうのです。これは先を見通す智恵がないためです。このような思想になってしまっているのを見濁といいます。

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