三法印1

仏法にしか教えられない真理とは、三法印。三法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。この三つを三法印と言います。

まず、始めの諸行無常とは、すべてのものはこれだけは変わらないというものはなく、すべて変わってしまうということです。

特に私たちにとって最も深刻な無常とは私たちの肉体の命。つまり、死です。私たちは、誰しも死にたくない。でも、死にたくないと思っていても、いつまでも生きておれる訳ではない。いつかは死んでゆかなければならない。死んでゆかなければならないからこそ、自分はやがて死んでゆかなければならないという現実を見たくない。

だから、私たちは、自分の肉体以外のものにも我をつけて、これが自分だと思い込んで、たとえ自分が死んだとしても、これが残ったらいいと思って執着するのです。

つまり、執着とは自分とはこれだと思っているもの。そして、自分の存在が希薄な人ほど、様々なものに我をつけて執着します。

しかし、ほとんどの人は、我をつけたものに執着して、これが自分だと思っているという意識がある人はありません。それは執着というのは自分の理性でするものではなく、自分は死にたくないという本能からしているからです。

だから、理性がまだ発達していない子供であっても、色々なものに執着して、捨てようとすると、まだ使うからと言って、取っておこうとしますし、無理矢理捨てようとすると泣く。これが執着です。

つまり、執着とは、自分は死んでこの世から消えて無くなってしまっても、自分の我をつけたものが残るからいいと思う心。だから、自分の我をつけたものは永遠に自分のものにならなくては困るし、無常によって失われてしまうことも認められない。

しかし、現実には、この世のあらゆるものは無常。これが諸行無常。どんなに我をつけて、これは自分のものにしたとしても、やがて自分の元から離れてゆく。何一つ自分のものになるものはない。それが諸行無常という真実なのです。

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