自分のスペースを作る

私たちは色々なものに我をつける。我をつけるのは、我をつけるのは、我をつけたものが他人からどう見られるかによって自分とはどういう人間かを確認しているから。そして、高級なものが欲しいと思うのは、高級なものには価値があるから、他人から注目される。注目されることによって、自分は価値のある人間だと見てもらいたい、特別な存在として見てもらいたいから。
私たちは自分の我のつけたものを他人からどう見られるかによって存在価値を確認している。物を持っていても、誰も見てくれなかったら、私たちは自分がここに存在しながら、自分がここにいないように感じて不安になる。だから、不安を誤魔化す為に欲に流れるし、自分なんかいてもいなくても同じなんだと思って、自分の存在を大事だと思えなくなる。このような人は、自分の為に頑張ることはしなくなる。このまま行ったらダメだと頭では分かっているのに、自分を律することができず、目先の欲に流れしまう。自分を大事にすることができないのである。
だから、私たちはまわりの人に見てもらわなくてならない。その為に自分のものは他人が見てくれる所に置かなければならない。それは我のついたものを他人に見てもらうことによって、自分はここに存在しているのだと感じるから。この見てもらう為に、自分のものをまわりの人が普段見ている所に置く。それは目に入るだけで、私はここに存在しているのだと感じて安心する。
この物とは、たくさんあるかどうかではなくて、自分のスペースを作って、そこに一つにまとまっているかどうか。みんなの見ている所に自分専用の物を置く為のスペースを作る。そうすることで、私の存在が、みんなの生活の中で受け入れられているように感じる。
これができてないと、私たちは自分のことを見てもらってないように感じて、自分のことを見てもらいたくて、自分のものを増やす。特に小さい時に自分のスペースを守られなかった人ほど、大きくなって、次々と物を買って、至る所に自分のものを放置するようになる。
例えば、小さい時に、自分の部屋に勝手に親が親のものを入れてきた。そして、自分の部屋なのに、勝手に動かすことができなかった。そうすると、子供は侵略されたように感じて、無力感を感じて、マンボーみたいに卵をたくさん生めば侵略されることはないと思って、部屋の中も物で埋め尽くす。そして、大きくなって結婚したら、子供の部屋にまで自分のものを置くようになる。
しかも、たくさん買っても、それらすべてに我がついている。勝手に動かされると腹が立って相手を責める。だから、一緒にいる子供は無力感を感じて、子供も物を次から次へと買うようになる。だから、家の中、親の物やら子供の物やら物、物、物で一杯になる。
でも、どんなに物を増やしても、安心できない。それは物を増やすほど、勝手に触られる、動かされることが多くなるから。その為、物を放置していながら、勝手に触られると無力感を感じ、物を増やして安心しようとする。でも、物を増やせば増やすほど、不安になり、不安を誤魔化す為に更に物を増やし、それは子供にも受け継がれてゆく。親も不安ならば、子供も不安。この不安を誤魔化す為に親も子供も物を増やし、家の中はゴミ屋敷へとなってゆくのです。
こうならない為にも、自分の物を置くスペースを持ち、そこから溢れた物は捨ててゆかなければならない。自分のスペースを持ち、その中に入るだけの物を持ち、それ以上の物は整理することで、自分の心は安心し、穏やかな生活をすることができるのです。

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