とは何か?
慢とは、他人と比べて自分が上に立ち、相手を見下す心。
私たちはとかく他人と比べて自分が上か下かを問題にします。そして、自分が上になると、どうだ自分は凄いだろと自慢をする。そうすることで、自分には価値があると思えるからなのだと思います。
では、なぜ私たちはそんなにも他人と比べて自分が上か下かを問題にするのでしょうか?
この心はみんながみんな強い訳ではありません。この心が強い人もいれば、弱い人もいる。でも、共通して言えることは、価値を問題にしていることです。
誰もが自分のことを価値のある人間になりたいと思っている。それは価値のある人に人は、注目し、大事にするからです。
例えば、学校では勉強のできる子、スポーツのできる子がクラスの人気者になります。その人のまわりに人が集まり、話が盛り上がったり、楽しそうにしています。
そうすると、その輪の中に入れなかった人は、その人に対して妬みの心が起きる。
その子を見て「いいなあ」と思いながら、それでも、その人の存在を認めることができない。だから、自分が上になったら、自分もあの人と同じ立場になれるのではないかと思う。そういう心から他人と比べる心が起きます。
また、兄弟なら、親はいつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と兄のことばかりを見て、自分のことを見てくれない。それはどれだけ寂しいことか。
でも、その寂しさを誰かに話して分かってもらうことをせず、親から認めてもらえないことを自分が悪いからだと自分のせいにして、自分の感情を抑え込んでしまうと、心の中で、兄よりも自分が上に立てば、親は自分のことを見てくれる、そして、その心はやがて親でなくても、自分が上に立てば、他人は自分のことを認めてくれる、と思うようになります。
このような人は、他人と比べて自分が上に立つ為に頑張ります。でも、それと同時にまわりの人にどんなに素晴らしい人がいても、その人のことを認めようとはしません。なぜなら、この人が上に立ちたい理由は、下になって、また惨めな思いをしたくないからです。小さい時に下になって惨めな思いをした人ほど、もうこんな思いはしたくないと思って、過去の自分を否定し、自分はもうあんな惨めな存在ではないのだと思おうとします。この時、自分の中の惨めなイメージを誰かに押し付けて、自分が上に立つ。そうすることで自分はもうあんな惨めな存在ではないのだと思って安心する。
だから、他人と比べて自分が上に立てば、自分は惨めな存在ではないと安心するし、自分が他人よりも下になって、その人が他人から注目されたならば、自分が他人に押し付けた惨めなイメージが自分に返ってくるような感じがして、自分が上に立って相手を馬鹿にしてきた人ほど、自分が下になった時に惨めに感じて苦しむ。
その為、もうこんな惨めな思いをしたくないと思って、頑張って自分が上に立とうとするし、相手に良いところがあっても、それは価値のないものだと思って、否定し、その人の存在を認めようとはしません。
でも、そうやって、他人を否定すればするほど、自分は価値のある人間にならなければねらないと思って、他人の存在が気になる。上になったら、安心し、下になったら自分の心が潰されて苦しむ心。それが慢なのです。

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