鬼が責める

人間には一人一人思いがある。この思いを無視して、一方的に相手を悪者にして責めると、責めたことが自分に跳ね返り、自分の思いを否定されるのではないかと不安になる。
この不安とは得体の知れない不安。誰かがいつも自分を責めているのではないかと不安になる。
誰だって心にやましいものはある。
だから、他人を悪者にして責めると今度は自分が悪者にされて責められるのではないかという不安が起きる。
この不安から、自分は悪者にならないように必死に正しいことをするようになる。そして、自分はこんなにも正しいことをしているのだから、悪い人間ではないのだと自分を正しい所に置こうとする。
しかし、自分の心によって生み出された鬼は、どんなに自分は正しい人間なんだと主張しても、心の奥底まで見て、やましいところがあったならば、容赦なく責めてくる。だから、このような人の心にはいつも誰かに責められているような不安が起きる。
その為、いつも他人の目に怯え、苦しまなければならない。
でも、苦しみながら、その苦しみに気づかないのは、不安を欲で誤魔化しているからだけ。
不安な人ほど欲に走る。欲が楽しいという人は、本当は欲を満たすのが楽しいから喜んでいるのではない。欲を満たしている間だけ、不安を誤魔化して見なくて済むから、欲に走っているだけ。
心から安心したら、欲を満たすことも楽しくなくなり、つまらなくなる。
でも、みんな時間があったら欲を満たすことばかり考えるのは、それだけ心の奥底では不安を抱えているから。
人は悪を責めるから不安を抱え、それを誤魔化す為に欲に走る。
欲から離れると聞くと、欲を満たすことが楽しみの人から見たら、こんなつまらないことはないと思うが、それは不安から離れた心から安心した世界を知らないから、欲を満たすことが楽しみだと勘違いしているだけなのですね。
心から不安を無くす為にも悪を責めることはやめていきたいものです。

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