餓鬼の業

次に餓鬼の業とは、自分よりも誉められている人、裕福な人、センスがいい人、頭がいい人、また、いろんな良いところを持っていて、人から認められている人を見た時、口ではすごいねと相手を誉めるようなことを言いながら、心では、この人を妬ましいと思って、その幸せな所から引きずり下ろしたいと思う心。
他人の幸せを見ると苦々しく思い、その幸せを奪い取って自分のものにしたいという心。
また、他人が不幸になる姿を見たならば、口では可哀想と言いながら、心の中ではいい気味だと思う心。
私たちは心を見られることはないことを良いことに、心の中では好き放題思っている。
そんな自分の心がもしまわりの人に見られたらどうだろうか?
きっとまわりの人は、こんなことを思っているなんて酷いと思って、自分の所から離れてゆくだろう。そんな醜い心を私たちは抱えている。これが餓鬼の心。餓鬼とは、他人の幸せを妬み、他人の不幸を喜ぶ存在。その醜い心が姿形を持って、現れたのが餓鬼。
私たちは、こんな醜い心を持っていても、お互いに相手の心が見えないから、相手から出る言葉だけを信じて、相手のことを信頼している。
でも、もしその心が見えてしまったとしたら、それは人間関係は破綻し、とても一緒に暮らしてゆくことはできない。そんな心を抱えていながら、平気でいるのが私たち。その心を知られ、自分はなんて醜い心を抱えているのだろうと懺悔されているのが、善導大師のこのお言葉なのです。

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