阿弥陀仏を念じる

私たちは、他人から見て、自分が悪い人間にならないように気をつけて、そうならないように頑張っているから。

自分が悪い人間だと認めることができない。他人があなたはこんなにも悪い所があると訴えてきても、「そうか、自分には、こんな悪い所があるんだ。」と認めることができずに、心の中で、それはこういう理由があったからなんだと言い訳をしたり、確かに自分も悪かったかも知れないけど、そんな言い方をしなくてもいいじゃないかと相手を責めたりする。

だから、素直に自分が悪かったと認めることができない。

この悪だと認められない自分が、自分も悪かったんだなと認められるようになると、心が楽になる。

その為には、自分の悪を許してくれる存在が必要。それは自分は悪いことをしてはならないと善に励まば励むほど、自分の悪を許せなくなるからこそ、自分が許せない悪を許してくれる存在が必要になる。

この自分の悪を許してくれる存在こそ阿弥陀仏。みんな悪人を否定し、悪人を見捨てる。それがこの世界。

そういう中で、どんな悪人も見捨てず救いとると誓われた方が阿弥陀仏。

だから、自分の悪を見せつけられた時ほど、阿弥陀仏を念じ、阿弥陀仏はどんな悪人も救うと誓われているのだからと自分の悪も他人の悪も許してゆく。

悪を許してゆく所に苦しみから離れる唯一の道があるのですね。

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