阿弥陀仏の御名をきき

阿弥陀仏の御名をきき 歓喜讃仰せしむれば 功徳の宝を具足して 一念大利無上なり
阿弥陀仏に救われるとは、阿弥陀仏の呼び声を聞くこと。それはどんな声かと言えば、声なき声。ただ光に照らされたとしか言えないもの。そうしたならば、今まで認めることができなかった自分の悪を認めることができる。自分はこんな醜い心を抱えているものだと照らされる。そして、自分は見捨てられるのではないかという不安が消える。
今までこんな自分だから、後生は暗い世界に行くのではないかと思っていた自分が、こんな自分だから、業の報いを受けてもしょうがないと受け入れ、明るく生きてゆくことができる。たとえ相手からそんな悪をしていたら、地獄へ堕ちるよと言われても、それが業の報いならば仕方ないと受け入れることができる。それだけ心を暗くしていた不安が消え、心が明るくなったのである。
このような体験は一念で起きる。一念とはあっという間。暗い人生が明るい人生へと変わる。今までは何て暗い人生だったんだと知らされ、明るく何の不安もない人生を生きることができる。なぜ明るいのか?それはどんな運命がやってきたとしても、すべて自分の種まきの結果だと知らされるから。私たちは種まきをしていないのに、思い通りの運命がやってきて当然と思っている。こんなに頑張っているのに、どうしてこんな目に遭わなくてはならないんだと思う。でも、阿弥陀仏の光明を受けると、自分の姿が知らされる。こんな自分だから、どんな目に遭っても仕方がないと思える。そうしたならば、人生が明るくなる。自分にやってくるものは、自分の種まきしかないんだと心底思える。じゃあ、頑張るしかないと明るく生きられるようになるのです。これが一念大利無上なりなのです。

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