苦しみも幸せも自分の心が生み出す。そして、苦しみとは自分の存在が否定された時に感じる。
でも、仏教から言ったならば、自分の存在を否定する存在も自分の心が生み出した映像。
自分の作り出した映像に自分が恐れ、避けるから。いつも恐れているものに自分が追われ、自分の存在さえも否定されているように感じて苦しむ。
私たちは自分の心によって生み出した映像と向き合い、恐れを取り除かなければならないのだが、唯識が分からない私たちは現実の相手が自分を苦しめていると感じて、その相手を否定したり、小さく見たり、軽く見ることによって、自分の心を楽にさせようとしてしまう。
そうやって、相手に送った思いは自分に跳ね返り、自分が相手を否定したならば、否定されているように感じて苦しむし、相手を無視したならば、自分が今度は無視されているように感じて苦しむ。
すべて自分が相手に向けて放った感情は自分へと跳ね返り、自分を苦しめる。
他人は結局、自分であり、どんなに相手が自分の存在を否定してきたとしても、自分は相手の存在を否定せず、自分で自分の存在を否定することもしない。そうすることによって、どんな環境にいても、苦しむことのない心の境地へと出ることができるのです。
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