自力の心

では、なぜこんな地獄や餓鬼、畜生の業になってしまうのか?
それは仏教では、自力の心が私たちの心を地獄のような恐ろしい心、餓鬼のような醜い心、畜生のような汚い心に変えると教えられる。
では、自力とは何か?
それは善悪にとらわれ、善はしなければならない、悪はすべきではないと思う心。
こういう風に聞くと、そんな善をして、悪をやめる心は良い心のように感じるが、なぜ仏教では、これが三塗の業を生み出すのだろうと思うかも知れない。
それは私たちは善悪にとらわれると自分の感情は納得していなくても、これは善だからやらなくてはならないと自分の心を責めてでも、やろうとするし、これは悪だと聞いたならば、絶対にやってはならないと悪をする自分の心を責め出す。
そして、それは自分だけでなく、他人にも向く。つまり、自力とは、自分を責めるように、善をやってない相手、悪をやっている相手を責める心。なんでこれは善なのにやらないんだと他人を責める。そうやって、他人を責めるから、責めた心が自分に跳ね返ってきて、自分が責められているように感じて、余計、善悪にとらわれるようになる。そうやって、善をするために自分の心を傷つけ、悪をやってはならないと自分の心を責める。このようにして傷ついた感情から、吹き上がるのが、地獄、餓鬼、畜生の三塗の業。
だから、善悪にとらわれて、悪いことはしてはならないと思う人ほど、心の中ではどうにもならない心が吹き上がる。そして、自分はこんな恐ろしい心を起こしてしまったと自分で自分のことを嫌いになる。嫌いになるから、また嫌な心が起きると自分を責める。責めるから醜い心が吹き上がる。一旦、責め始めると無限ループのように同じことを繰り返し、苦しみから苦しみを生み出す。この心はこの三塗の業はどうして起きるのかを教えてもらわないと抜け出すことはできない。
だから、仏教は聞かなければならないのです。

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