自分の気持ちをわかってもらいたいからこそ、まず相手の気持ちを分かってあげる

どちらが正しい、どちらが間違いかを問題にするようになると、自分の中で正しいことをする為に平気で相手の感情を踏みにじるようになる。
その時の気持ちは自分は正しいことをしているのだから、それによって相手がどんな気持ちになっても自分には関係ないと思っている。
でも、そうやって正義を押し通すと、今度は通した正義が大きな山となってのしかかり、自分が間違っていた時に潰そうとしてくる。
だから、正義を一度通してしまうと自分の心を潰されたくないから、絶対に自分の間違いを認めなくなる。
だから、相手がどんなに心が傷ついたと訴えたとしても、その言葉がお前が悪いと言われているような気がして、自分は悪くないと正当化しようとしてしまう。
そういう人には、あなたは悪くないと言ってあげよう。だって、言いたいことはあなたが悪いことを認めて欲しいのではなく、私が傷ついていることを認めて欲しいだけだから。
それを相手は誰が悪いという風に変換して聞いている。
仏教から言ったならば、どちらが悪いなんて関係ない。そんなことどうでも良いこと。それよりも、こういうことで傷ついている人がいるから、そのことを分かって欲しいだけ。でも、そういうと自分だってこんなに傷ついているのだという話になる。
その話を静かに聞いて、悪かったねと言ってあげなければ、相手は私の気持ちを受け止めてくれることはできない。
自分の気持ちを分かってもらいたいからこそ、まず相手の気持ちを分かってあげる。それができなければ、相手に自分の気持ちを分かって欲しいと訴えても、はねつけられて受け取ってはもらえないのですね。

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