自分がうらやましいと思うことを相手にしてあげる

よく自分はこんなに頑張っているのに、相手は遊んでいたら、「なんで自分ばかりこんなに頑張らなければならないの」と腹を立てる人がいる。
仏教的には、腹が立つのは相手のことをうらやましいと思っているから。でも、うらやましいと思いながら、理性でそんなことはしてはならないと否定しているので腹が立つ。
このような人は相手のことをうらやましいと思いながら、理性ではその人のことを否定しているから、自分が逆の立場に立ったときに、誰かが頑張っている時に、自分だけ楽しむことはできないし、まるで自分が責められているように感じて苦しくなる。
だから、このような人は自分だけ頑張っている時は心で遊んでいる人を責めるし、まわりの人が頑張っている時は自分だけ遊ぶことはできないと頑張ってしまう。
しかし、どんなに頑張っていても、それは責められたくないから頑張っているだけなので、自分が頑張ることによって、自分も幸せになれないし、誰も幸せにはなれない。
仏教的に言ったならば、遊んでいる相手のことをうらやましいと思うからこそ、そして、自分も心ではそんないい思いをしたいと思っているからこそ、相手に気持ち良くいい思いをさせてあげる。自分が本当はしたいと思っていること。それを自分が味わうのではなく、相手に与えてあげる。これを仏教では布施と言う。そして、相手が幸せな気持ちで過ごしていることを心から喜んであげる。そうしたならば、相手も好きなことができて満足するが、自分もいい思いをしたいという気持ちが満足できる。
これを自利利他という。
自分がうらやましいと思うことを理性で否定するのではなく、こんな思いができたらいいなと認めてあげることができたら、心もぐっと軽くなるのではと思いました。

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