細かいことまで気になる人とは、少しでも自分の思い通りにならないことがあると許せないと思う人でもある。
なぜ思い通りにならないことがそんなに許せないのか?
それは穢れが溜まっているから。
人間穢れが溜まるとちょっとした無常にも、我が崩れ、穢れが吹き出す。
本当は我が崩れたら、泣いたらいい。
泣くとスッキリする。でも、子供の時に泣けなかった人は、我が崩れ、感情が吹き上がると、無意識のうちに抑えて、そんな自分を責めてしまう。
そうやって、自分を責めるので、他人も責めずにはおれなくなる。
責めるのは、自分の中に溜まった感情を吐き出す為、本当は感情が吐き出したかったならば泣いたらいい。
でも、泣いたらいけないと思うから、泣きたい時に抑えてしまう。
抑えても、自分の中に溜まった感情は消える訳ではないので、誰かに向かって吐き出される。
それが責めるということ。
だから、自分が責める相手は、自分の感情を受け取ってもらえそうな人。
本当はそういう人は、大事にしなければならない。それはその人の前では、感情が吹き上がるから。
でも、私たちは感情が吹き上がると、それはいけないことだと思って、感情を吹き上がらせた相手に対して怒りが向く。
「よくも感情を吹き上がらせたな」と思ってしまう。
この人さえいなかったら、感情が吹き上がらなかったのにと思っている。
でも、感情が吹き上がったのは、この人が悪いことをしたからてはなくて、感情が溜まっていたから。
だから、ちょっとした縁で感情が吹き上がる。
そして、責めてしまう。
それは責めることによって自分の中にある感情を吐き出したいから。
吐き出すと楽になる。
だから、吐き出したくて責めてしまう。
でも、責めると責められているように感じて、責められないように気を遣う。
自分が他人を責めたくて、細かい所まで問題にして責めているので、それが今度は自分に跳ね返り、細かい所まで誰かが問題にして責めてくるのではないかと思ってしまう。
それで責められたくないから細かい所まで気になる人になる。
細かい所まで期になる人とは、細かい所を問題にして、他人を責める人。
それは自分の中に溜まった感情を吐き出したいから、責めてしまう。
だから、相手が細かい所を気を遣って、直せば直すほど、自分の中に溜まった感情は吐き出せず、苦しむ。
自分の中に溜まった感情を吐き出す以外、この人が楽になる道はないのですね。
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