煩悩とは何か?2

でも、仏教とはどんな教えかと言えば、その人の思想によって、心や口や体の行いが生み出され、それが習慣になることで業となると教えられる。

だから、どんなに表面を取り繕って、他人が見ている時だけいい顔して、いい評価を得られたとしても、その人の日頃の姿勢はその人の雰囲気となって滲み溢れる。そして、自分の心が他人が見ていないところで世界を生み出す。ここで大事なことは自分にとって世界とは何かということ。それは他人が見て自分を評価する世界が自分の世界なんだと思いがちだが、そんな世界は息苦しくて、ずっといたいと思う所ではない。自分の世界とは自分が落ち着くことができる世界。それが一人ならば落ち着くことができると思っている人は自分の世界とは独りぼっちの世界。そして、その心が自分の世界を生み出してゆく。

だから、仏教では自分が落ち着くことができる世界を幸せにしてゆく。それが自分の幸せなんだと教えられる。

それに対して智慧がなく無明の人は他人が見ている世界こそ自分の世界だと思って、そこを少しでも良くしようと求める。この行いのすべてが煩悩。つまり、煩悩とは間違った思想から生み出されるすべての行い。みんなが求めているから、それが正しい訳でもなく、それを否定するところに真理がある訳でもない。また、外にとらわれる程、自分の心が見えなくなり、不安になる。そして、どんなに自分の幸せを求めたとしても、心が満たされることがないから、その心の渇きから渇愛の心が生み出されるのである。

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