無碍光仏のひかりには

無碍光仏のひかりには 清浄歓喜智慧光 その徳不可思議にして 十方諸有を利益せり
阿弥陀仏の光明は私たちの煩悩を貫き、真実を明らかにしてくれる。私たちは真実を見たくないから、欲や怒り、愚痴などの煩悩を起こし、真実を見ないで、我に執着する。たとえば、馬鹿にされているのではないかという不安を抱えている人ほど、馬鹿にされない自分という我にしがみつく。でも、どんなに馬鹿にされない自分なんだと思っても、ちょっとした相手の言動が馬鹿にされているような感じがして腹が立つ。腹が立つのは、相手がこんなことをするから悪いと思っているから。自分は馬鹿にされない人間なのに、馬鹿にする相手が悪いとしか思ってない。また、馬鹿にされているという現実が見えてくると、その現実が見たくないから、欲に流れて現実を見ないようにする。だから、私たちは馬鹿にされているのではないかという世界にいながら、煩悩を起こすから、そのことに気づかず、自分は馬鹿にされない人間なんだと安心している。
でも、説法を通して無碍光に触れると、無碍光は煩悩を貫き、自分は馬鹿にされているという世界に生きていることが分かる。そして、それは他人を馬鹿にしているからだということが分かるので、馬鹿にしないようにしようと思うようになる。
自分の世界に気づかなければ、自分の世界から抜け出すことはできない。私たちは煩悩によって自分の世界から目をそらしているので、真実が分からず、迷い続けている。だから、無碍光に触れると真実が分かるので、欲や怒りや愚痴の煩悩が無くなり、正しい智慧を頂いて苦しみから離れるように求めてゆくようになるのです。

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