火塗

苦しみを生み出す心の世界に三塗という言葉がある。三塗とは、火塗、刀塗、血塗の三つ。
まず、始めの火塗とは、私の心の世界が火で覆われた世界。火とは怒りの心。この人から見たならば、世界に映る人はすべて自分のことを嫌う人たちのように見える。自分なんかいなくなればいい。その方が楽だし安心だ。この人がいても迷惑なだけだ。この世からいなくなってくれたらいいと見える。
実際はそのように相手は見ていないかも知れない。でも、その人の心にはそのように映る。だから、自分も相手なんかいなくなればいいと思う、“あっち行け、出ていけ、消えてなくなれ”と思っている。
いてもいいのは自分の思い通りになる人間だけ、それ以外は自分の世界から出て行って欲しいし、消えてなくなれと思っている。これが火塗の世界。
自分か他人か、そのどちらかしか存在してはいけない世界。自分が存在する為には相手の存在を否定しなければならないし、どうしても存在したいならば、自分の思い通りになれと思っている。
自分の思い通りになる間はこの人好きと思って近づくが、一度でも思い通りにならなかったならば、手のひらを返したように、敵意を見せ、怒りをぶつける。そして、相手が負けを認めて、自分の言いなりになるまで、それは止まらない。これが火塗という世界なのである。
《なぜ火塗の人は、自分か他人かになるのか?》
では、なぜ火塗の人は自分か他人かどちらかしか存在してはならないと思っているのか。
それは百パーセント自分が正しくなければ、思いを通すことはできないと思っているから。
この人は正しい人が間違っている人に対して思いを通すことができると思っている。だから、自分が正しくなければ思いを通すことができないから、いつもは色んな思いがあっても、我慢している。そして、我慢して我慢して、段々苦しくなると、どうしても思いを通したくなって、相手のことが悪く見えるようになる。
それは相手が悪者になれば、自分は正しい所に立って思いを通すことができるから。だから、自分が思いを通したいから相手のことを悪く見る。そして、その悪を責めて、相手に間違いを認めさせようとする。この時、少しでも相手が反論しようものなら、徹底的に相手を責める。
そうやって、この人はどちらが上かどちらが下か、ハッキリと白黒をつけようとする。そして、自分が上であることを見せつけようとする。
それはひとえに安心して自分の思いを通したいから。自分の思いを通すときに相手に反論されたくないから。
ただそれだけの為に相手を無力化してぐうの音も出ないようにする。
本当は相手に反論されても自分の思いを通す方法を知らないだけ。子供の時に親の言うことを聞くだけで、自分の意見を聞いてもらえなかった人がこの境界に堕ちる。
自分が思いを通す為に相手を否定するから、自分も否定されているように感じて苦しむのだが、それが分からないから、自分の造った苦しみの世界の中でいつまでも苦しみ続けなければならないのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました