正義とは茨の鞭

自分なりの正義に従っている人は、いつも自分はこんなにも頑張っているという気分になる。
それは真実から言えば、自分の作り出した罪悪の縄に縛られて苦しんでいるだけなのだが、当の本人は、そんなことは分からず、自分はこんなにも頑張っているという所に立つ。
そして、自分はこんなにも頑張っているのだから、まわりの人も自分の正義に従って動けと思うようになる。
きっと自分だけ正義に縛られて、正義に責め立てられて動くのは、嫌だから、自分のまわりの人も正義に縛られて欲しいし、相手が自分の正義に反した時は容赦なく相手を責める。
この時の気持ちは自分も正義に従って頑張っているのだから、お前だけ正義に従わず、いい思いをするのは許さないという気持ち。
そうやって、責めるから、自分も責められているように感じて、いつも正義に追い立てられるようになり、ますます頑張るようになる。
そして、頑張るようになると、自分はこんなにも頑張っているのだから、自分のやっていることは正しいという所に立って、ますます自分の正義に合わない人を責めてしまう。
正義を持つ人は、その正義によって自分が縛られ、正義に責められながら、頑張るようになる。
それは目に見えない正義によって責め立てられているから、いつも心は楽にはならず、頑張り続けなければならない。
こういう人は、誰よりも楽を求めながら、自分の心は楽にならず、まわりの人で楽しそうにしている人がいたら責め立てる。
正義とは自分の心を縛り、責め立てる茨の鞭のようなものなのですね。

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