仏教で教えられる智慧とは何だろうか?
それは自分のことや他人のことを客観的に見る力のことだと思います。例えば、私たちはいつも欲を満たすことはかり考えています。時間ができたら、何か楽しいものはないか、何かで時間を潰すことはできないかということばかり考えています。しかし、どんなに欲を満たしたとしても、それに満足することはなく、時間に余裕がある限り、欲を満たし、暇ができると欲を満たすことばかり考えています。つまり、どれだけ欲を満たしても、自分の心の中で何か変わることなく、いつも満たされないものを感じながら、欲を追い求めているのです。
こんな自分の姿を客観的に見て、自分は意味のないことに人生の多くの時間を費やしていることに気付くのが、仏教の智慧なのです。
私たちは自分の姿が見えていません。その為に同じ所をぐるぐる回りながら、何を求めているのかも分からず、大切な時間を無駄にしながら、人生の多くを意味のないことに費やしながら生きています。
でも、意味のないことを意味のないことだと気付かず、自分が本当は何を求めているのかも気付かず、自分は頑張っているのだから、自分の人生には意味があるのだと思って生きているのです。
この意味のない人生を生きていることに気付くことが智慧であり、智慧を得るからこそ、自分の人生をどうしたら意味のあるものにできるかを考え、自分の生き方を変えることができるのです。
私たちは失敗することは悪いことだと思い、失敗すると落ち込みますが、仏教から言えば、失敗することは悪いことではありません。悪いのは失敗することではなく、間違った生き方をしていることに気付かず、人生の大半の時間を無意味に過ごすことが悪いことなのです。
私たちは何かにとらわれると、自分の中でこうしなければと思うことに縛られて、正しいことに従っているかどうかばかりにとらわれ、自分は何をしているのかが見えなくなる。
人生とは、如何にこのとらわれの心から離れ、自分の姿を客観的に見ることができるか。それが大切なんですね。
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