私たちは自分一人で自分の存在を感じられない。だから、他人から自分がどう見られるかによって自分とはどんな人間なのかということをイメージしている。こうやって出来上がった自分とはこうい人間なんだというセルフイメージを仏教では我という。
そして、人間の一生というのは、この我に縛られる。私たちは人生をどう生きているかと言えば、自分の作ったセルフイメージを崩さないように、そして、より価値のある人間と見てもらえるように生きている。
そして、このセルフイメージを崩されるようなことがあったとしたら、人は感情的になって怒りをぶつけたり、そんな価値のなくなった自分を受け入れたくなくて、自殺をしたりする人もいる。それほど、私たちにとって大事なものは、この我というセルフイメージ。
でも、それはあくまでもこの我というのは、自分の中でこういうものが自分だと思っているだけで、本当の自分ではない。だから、どんなに我に執着したとしても、死んでゆくときにはすべて崩れ去り、今までの人生は何だのかと後悔の涙を流して死んでゆくことになる。
我は大事なもの。でも、この我を離れた本当の自分を知ることが私たちが死ぬまでにやらなければならないことなのである。
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