我慢する人は無力感を植え付けられる

世の中では我慢は美徳と言われているが、仏教的に言ったならば、我慢は良くない。

何故なら自分が我慢した分だけ、誰かを我慢させずにはおれないからだ。

我慢とは自分の思っていることを言わずに抑えること。それは自分の思っていることを言ったとき、否定されると、段々、自分の気持ちを言ってはいけないように思って我慢するようになる。

これが我慢。

つまり、自分の思いさえも言ってはならないと抑えること。そうやって、抑えると何と自分は無力な存在なのかと無力感を味わう。

そして、無力感を味わった人は強い人間に憧れ、強い人間とは相手の思いを否定して自分の思いを通す人だと思って、強い人間になりたいと思って相手の思いを否定しようとする。

つまり、自分が味わった無力感を相手に味あわせることで、自分は無力な存在じゃないと思おうとする。

しかも、我慢する人は誰も自分の思いを抑えなさいと言っていないのに、相手のことを気を遣って自分の思いを抑える。

そして、抑えた分だけ誰かに思いを通して無力感を与える。

我慢をする人は、無力感を与え、我慢する人を増やしてゆく人。だから、我慢は止めてゆかなければならないのです。

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