我とはこれは自分だと思っているもの。
それは農家という形のないものにつくだけでなく、様々なものにつく。この我のついた所は、自分を感じて、そこが自分の居場所となる。
例えば、自分の部屋には自分の我のついているものが集まっている。だから、そこにいると居心地がいい。でも、反対に我のついてない所にいると、そこに自分はいてはならないのじゃないかと思って、不安になり、何となくそこに長くはおれなくなる。それほど私たちにとって我は大事なもの。
でも、どんなに我がついて、そこが自分の居場所だと思っていても、その我のついたものを他人に見てもらわないと心が落ち着くことはない。つまり、私たちは、他人に我のついたものを見てもらうことによって安心している。だから、どんなに色々なものに我をつけたとしても、自分の部屋ばかりにあって、誰も見てもらえなかったとしたら、その人の心はいつも何か不安になり、その不安を誤魔化す為に欲に走るようになる。これが二河白道の欲の河。
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