我執19

掃けば散る掃かねばなおもより積もる庭の紅葉も己が心も

掃けば散るとは、この面倒臭いという執着は、どんなに面倒臭いという心を断ち切って、心を浄らかにしてゆこうと心がけても、すぐに心が穢れてゆく。だから、どんなに心を浄らかにしても意味がないと思って、面倒臭いという心を放置してゆくと、どんどんと心が穢れて、自分の心が見えなくなる。それは掃いても掃いても散ってゆく庭の紅葉と同じようなものなのであるということです。

ここで心が見えなくなるということはどういうことか。相手のこんなことが嫌だった、傷ついたというばかりで、相手がどう思ったのか、相手からどう見られているかということを客観的に見ることができなくなる。これが心が見えなくなるということ。心が見えなくなると話すことは不満と文句ばかり、あれしてくれない、これしてくれない。自分の都合ばかりを優先するようになります。

この垢を取り除いてゆくこと。それが垢を除かんということなのです。

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