悪を責める人ほど、自分の悪は認められない

私たちは、相手が一旦、悪いと認めたならば、その相手に対して容赦なく責める。
そうやって責めることで、溜まった負の感情を吐き出している。だから、責められた相手は責められることによって苦しむだけでなく、負の感情を受け取ることによって苦しむ。
この苦しみとは、悪いのは自分ではないかと思って自分を責める罪悪感。
だから、この苦しみは怒りの感情をぶつけられた後も続く。
私たちは負の感情が溜まると悪い奴を見つけて、その人を責めることで、負の感情を吐き出そうとする。
ところが、責められた人はお前が悪いと言って責められているので、負の感情を受け取って誰かを責めて吐き出したくなっても、悪いのは自分だと思って、自分を責めてしまう。
だから、責められた人は責められたことでも苦しみ、また、責められた後も自分で自分を責めて苦しむ。
しかも、一度責めると、責めた人は、責められた相手がどんなに苦しんでいても関係なく、負の感情が溜まると悪い所を見つけては責めてくる。
だから、責められることで自分が悪いと認めたならば、そのことによって、何度も何度も責められて苦しみ、そして、悪いのは自分だと思うので自分を責めて苦しむ。
だから、この苦しみを味わった人ほど、楽になりたい一心で責める側になろうとする。責める側とは相手は悪く、自分は正しいという立場に立つこと。それは、客観的に見たら悪いことをしていても、自分は正しいという所に立っている人。だから、悪い相手は、容赦なく責めるし、相手が謝っても、相手を許すことができずに、自分の気が済むまで、一方的に責めてしまう。
そうやって、責めれば責めるほど、自分の悪は認められなくなるし、正しい所に立って、悪い相手を見つけては徹底的に責めてしまう。
悪を責めるから悪は無くなる訳ではない。それどころか、悪を責めれば責めるほど、自分の悪は認められなくなって、悪をしていても悪を反省できなくなって余計悪をするようになってしまうのですね。

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