自分の心をよく見ると、責めることは良くないと思いながら、悪い奴には責めてもいいという心がある。ここで悪いとは、どういうことか?
私たちは悪いという言葉を否定されて当然の人という意味で使っている。
この世は火宅。みんな自分の中に溜まった穢れを吐き出して楽になりたいと思っている。
だけど、みんな穢れが溜まっているから、誰も気持ち良く、自分の穢れを受け取ってくれる人はいない。
だけど、自分の中に溜まった穢れは吐き出したい。だから、自然と穢れを吐き出す為に、穢れを吐き出していい相手を作り出した。これが悪い人。
みんな自分に良いように嘘をつく。悪い奴には罰を与えないと反省しないから、悪を正す為には、悪を責めることは良いことであり、必要なことなんだと言う。
実際は、自分の心の中に溜まった負の感情(穢れ)を吐き出して楽になりたいだけなのだが、そうやって、穢れが溜まってくるとまわりを見て、悪い奴を探しては責めるようになる。
だから、私たちは悪い人間になりたくない。それは、悪い人間になったら、まわり中から責められるから。
そして、正しい人間でいたい。それはいつでも他人を責めることができるから。
私たちはどうしたら、自分の心の中に負の感情が溜まらないかということは考えず、溜まったら、悪い奴にぶつければいいと思っている。だから、この世は苦しみが絶えないのだと思いました。
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