怒りとは

仏教でいう怒りとは何か?
それは私たちには、自分は他人と比べて価値のある人間だという我があって、それを否定されるようなことをされた時に、自分はそんな価値のない人間だとは認めることができず、自分は本当は価値のある人間なのに、あの人がこんなことをするから、自分の心は傷ついた、だから、あいつが悪いのだと他人のせいにする所から怒りが生まれます。
つまり、怒りとは、自分はそんな価値のない人間ではないと思いたいから、怒るのであって、怒りを起こすのが悪いと、怒った人を責めていると、自分は他人から馬鹿にされても当然の価値の低い人間だと思って、生きている意味が感じられなくなって死にたいと思うようになります。
だから、怒りを起こしている間は自分はまだ価値のある人間なんだという我にしがみついている時であり、怒ることさえもできなくなったならば、それは同時に生きる希望さえも失われて死にたくなってしまうのです。
仏教で怒りから離れるというのは、私は馬鹿にされて当然の価値のない人間だと思えるようになることではなく、どんなに馬鹿にされても、自分は他人から馬鹿にされるような価値の低い人間ではないと自分を肯定的に見ることができるようになったことなのです。
その為には、どんなにまわりの人から馬鹿にされても、この人だけは自分のことを肯定的に見てくれる人が必要です。
その人を仏教で善知識と言います。
善知識だけが、どんなに悪い所を持っていたとしても、その人を否定せずに、自分と同じ人間として見てくれて味方になってくれます。
そういう人に愚痴を吐いて、自分の価値を確認することによって、私たちは自分のことを肯定的に見ることできるようになり、怒りからも離れてゆくことができるようになるのです。

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