当たり前の付け所を間違えると穢れる。本来は全部自分でやって当たり前なのに、それを他人にやってもらうとだんだん自分のことでもやってもらって当たり前になる。本当なら自分でやっらなければならないことをやってもらっているのだから、感謝してもいい筈なのに、それで浮いた時間を欲に流れてしまうと、心が穢れて、心は思い通りに物事が進んで当たり前になる。自分のやるべきことをやってもらいながら、それが思い通りにならないと不満の心が起き、相手を責める。
心に不満の心があるならば要注意。それは誰かに自分のやるべきことをやってもらいながら、当たり前になって欲に流れているサイン。
そこに気がつけたならば、心がけて自分のやるべきことをしてもらった時に感謝してゆく。それしか不満の心から離れる道はないのですね。
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