布施とは何か。
布施とはあまねく施す。あまねくとは相手を選ぶことなく、誰でもいい。つまり、布施とは相手を差別することなく施してゆくこと。
そこで相手を差別することなく施しをする上で大事なことは何か。
それは我を取って施しをすること。我がついているとどうしても思い通りにしたいという心が働く。
こんなに施しをしたのだから認めて欲しいとか。今度は自分の思いも通して欲しいとかという心が動く。施しをしたときに、この心が起きないようにすること。
それが布施。
じゃあ、どうしたらこの心を起こさないで済むかと言えば、それはこの心が起きないぐらい、施しが少なければ、この心を起こさないで済む。
だから、布施とは何人の人に施しをしても懐が痛まない程度の施しをする。これが布施。
でも、どんなにわずかなものを施しをしても、我の強い人は、そこに我がついて、相手が思い通りにならないと腹を立てて、もう二度と施しなんかするもんかと思う。
この最たるものが挨拶。挨拶は布施の最たるもの。挨拶は布施なのだから、どんな相手も気持ち良くしたらいいし、たとえ挨拶がなかったとしても、挨拶は布施なのだから、そこで腹を立てて、なぜ自分に挨拶がないのかと思う必要はない。
でも、世の中にはこの挨拶が布施になっていない人が一杯いる。挨拶をしたのだから、挨拶を返すのは当然だと思って、挨拶を返してくれない人に対して、心の中で怒りの刃を向ける。それは挨拶に我がついているから。挨拶なんて自分のお金を出す訳でもなければ、何か大変な労力を払う訳でもない。それなのにせっかく挨拶したのにどうして返してくれないのかと思うのは、こんなわずかな挨拶というものにも我がついているから。
だから、布施が分かったならば、挨拶をしたのにどうして返してくれないのかと相手を恨むのではなく、どうしてこんなわずかな施しでさえも我がついてしまうのかと何でも我がついてしまう自分を反省してゆくことができるのです。
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