自分がこんなに寂しい思いをしているのに、声をかけてくれないのは酷いという人がいる。この人はどうして苦しんでいるのだろうか。声をかけてもらったら、心が楽になるのだろうか。確かに声をかけてもらえたならば、その時は楽になる。でも、このようにしてもらえると、寂しくなったらすぐに感情が崩れて、また、自分の寂しさの原因を他人のせいにする。このような人は寂しさをどんなに癒やしてもらっても、そこには感謝することはなく、一度でも思い通りにならないと、すぐに感情をむき出しにして怒りをぶつける。そして、今まで自分の心を癒やしてもらった相手に対して怒りをぶつける。それは自分のまわりの人は思い通りになって当たり前だと思っているから。そして、同時に思い通りにならない人は、自分から離れてゆくように見える人でもある。つまり、このような人は自分から離れてゆくか、離れないかで人を見ている人でもある。そして、基本的に人とは離れてゆくものだと思っているから。離れないように人を縛ってしまう。では、この人が苦しいと言っているのは、どんな苦しみか?それは人が自分から離れてゆくのではないかという不安。この人にとって人が離れてゆくことが一番恐ろしい。でも、人が離れてゆくように感じるのは、実際に人から見放されたからではなくて、自分が思い通りにならない人を見捨てているから。自分が他人に対してやったことが鏡のように跳ね返って見えているだけ。例えば、自分が誰かのことを嫌いになって、その人を無視したならば、それが鏡のように跳ね返り、他人が自分の存在に気付かなかっただけで、すぐに自分がのけ者にされたと感じて傷つく。本当は自分が気に食わない相手をのけ者にしているだけ。自分がのけ者にしなければ、相手が自分の存在に気付かないだけでのけ者にされたと感じて傷つくこともないのに。苦しみは自分の心が生み出しているのですね。
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