よく時間を大切にと言われるが、時間を大切にしようとして、少しでも時間があったら、仕事を入れて暇な時間を無くしても、それは本当の意味で時間を大切にすることにはならない。
何故なら、どんなに忙しく身体を動かしたとしても、それだけでは後には何も残らないからだ。
仏教では、定善と散善が教えられる。定善とは、仕事ややるべきことに追われて、忙しくなった心を一旦手を止めて、心を静めること。つまり、心の中が一杯詰まっている状態から離れ、心を無心にしようとすること。そうすることで、静めようとしても、静まらない心が見えてくる。それが今自分がとらわれていることであり、自分が取り組まなければならない課題。次に散善とは、定善によって知らされた自分の課題を解決できるように今日一日過ごすこと。
どんなに忙しく身体を動かしていても、それで自分自身が成長できている訳ではない。定善によって自分の課題を見つけ、それを散善という日常生活を通して解決してゆく。
食べるという字は人が良くなる為にと書く。せっかく生きているのだから、毎日の生活を通して成長してゆかなければ勿体ない。忙しい時ほど、心を静めて自己を見つめる。そういう心の余裕はもってゆきたいですね。
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