存在価値2

私たちは何のために生きているのかと言えば、自分の存在を他人から認めてもらう為に生きていると言ってもいいです。

人は一人では生きてゆけないように、他人から認めてもらってない人は、無意識のうちに他人の目が自分に向くように自分の存在をアピールするようになります。

そして、アピールしても認めてもらえないと、周りの人に対して恨みを持つようになり、どうして自分はこんなに苦しんでいるのに、認めてくれないのかと腹が立つ人まで現れます。

ここで自分がどんなに苦しんでいたとしても、それが分かってもらえないからと言って、腹を立てることは余りにも理不尽な話。でも、このように腹を立ててしまうのは、私たちの行いというのは、いつも他人から認めてもらうために行動しているからなのです。つまり、腹を立てる人と言うのは、日頃から自分の行動すべてが他人に気を遣っての行い。そして、自分が他人のことを気を遣っているように、周りの人も自分のことを心にかけて欲しいと思っているのです。つまり、自分が当然のように周りの人に気を遣っているように、周りの人も自分に対して気を遣って欲しいと思っているのです。

例えば、自分が出掛ける時には、声をかけて出て行く。だから、周りの人も出掛ける時には私に対して声をかけて欲しいと思う。そして、自分は出掛ける時に声をかけているのに、周りの人は出掛ける時に声をかけてくれないと「寂しい」と言って、愚痴をこぼす。このように思うのは、それだけ日頃独りで過ごす時間が長く、自分の存在を希薄に感じているからであり、その分、無意識のうちに自分が気を遣っていることは周りの人も知っているはずだと思っているから。その為、他人から認めてもらえないと、自分がこんなに寂しい思いをしていることを知っているはずなのに、どうして周りの人たちは自分のことを放置しておれるのだと思ってしまうのです。これではまるで放置していた周りの人が悪いように聞こえますが、自分がどんなに周りの人たちに気を遣っているからと言って、周りの人たちが自分のことを気を遣わなければならない訳ではない。このように考えてしまうのは、自分と他人との境界線がないからであり、自分が常識だと思うことは、周りの人たちにとっても常識だと思うからなのです。

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