分別心とは自分を白い自分と黒い自分に分ける心。
自分が正しい所に立っている間はどんなに相手が苦しむと分かっていても、相手は自分ではないと思って否定してしまう。
正義は、時として、人を無慈悲にさせる。
それは、自分は正しいことをしたのだから、何が悪い、と思っているから。だから、自分が言ったことでどんなに相手が傷ついたとしても、何とも思わない。
しかし、そうやって無慈悲に相手を傷つけたことは、自分が正しさが否定された時に返ってくる。
私たちは相手と自分は関係ないと思っているから、平気で相手を傷つけてしまう。
でも、そうやって自分とは関係ないと傷つけたものは、自分へと返ってくる。だから、私たちは正しい所に立って、相手を否定してきた人ほど、自分の間違いを指摘されると言い訳をして自分の間違いを認めようとはしない。
でも、どんなに自分の間違いを認めようとしない人も臨終には自分の犯した罪がすべて返ってくる。それは臨終は自分が正しいと思って信じてきたものが崩される瞬間であり、その時に自分が他人に対してしてきた悪が見せつけられるからだ。
他人にやることは未来の自分に対してやっていることと同じ。他人に対してやったことは天に唾を吐くように、必ず自分の元へと返ってくる。
そういう意味で、どんなに悪い相手も否定してはならないのですね。
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