大事にしてもらうことではなく、大事にすることによって幸せは生み出される

他人を見たら羨ましいと思うことがある。何故なら、他の人たちは当然のようにやってもらえてことが多いのではないかと思うからです。
私たちは自分の存在を大事にしてもらいたいと思っている。だから、幸せとは、まわりの人から大事にされることだと思っている。だから、みんな他の人を見て、他の家では、きっと奥さんや旦那さんが自分のことを思って色々なことをしてくれるのだろうと思ってしまうし、家族が自分に対して冷たいと思って、もっと優しくして欲しいと愚痴をこぼす。
でも、みんなが私のことを大事にしてくれたら、私は幸せを感じるのだろうか、と考えます。
確かに今冷たくされて苦しんでいる人から見たら、もっと優しくしてくれたら、幸せなのにと思うのも当然です。でも、じゃあ、自分の願い通り、まわりの人が優しくしてくれたら、それで自分は幸せかというと、優しくしてくれることが当たり前となって、今度は自分の思い通りに動いてくれないと、それだけで許せなくなって相手を責めたくなる。
結局、まわりの人は、優しくしてくれているのに、自分の心は不満ばかりでちっとも幸せはありません。
じゃあ、幸せになるにはどうしたらいいか?
それは自分がやってもらいたいと思うのではなく、やってあげたいと思うことではないかと思うのです。自分から相手のことを大事にしてゆく。自分の時間を自分の欲の為に使うのではなく、相手が喜ぶことに使ってゆく。ここで大事なことは相手のことを大事に思う気持ちでやること。
そうやって、相手を大事に思う気持ちで相手の為に時間を使ってゆくと、自分の心が穏やかな気持ちになる。優しい気持ちになる。別に何があるという訳ではないけど、幸せな気持ちになる。
きっと相手を大事にすることで、相手のありのままの姿をこの人は、この人のままでいいんだと受け入れるからではないかと思います。
私たちは他人と接する時、どうしても相手の悪い所が目に映り、ここがおかしい、ここが間違っている、あそこが悪いと否定してしまう。でも、相手を否定すると、自分を否定してしまうので、自分の中にいつも鬼がいて、お前はダメだ、ダメだ、と言われているように感じてしまう。だから、今の自分ではダメで、もっと価値のある人間にならなければ自分で自分のことが認められず、思い通りにならないことにぶつかってはどうにもならない現実に、自分はダメなんだと落ち込む。そして、何時までも自分の理想とする生き方になってないことに苦しみ続けることになるのです。
でも、相手を大事にすることで、相手には欠点もあるけど、そのままの相手を受け入れて大事にしようと思う。つまり、このままでもいいんじゃないかと思えるようになる。
そうすると、自分に対しても、今のままでもいいんだと思えるようになり、今の自分を大事に思えるようになるのではないかと思います。
だから、自分の心の中の鬼がなくなり、穏やかになり、何もなくても幸せな気持ちになるのです。
幸せは大事にしてもらうことではなく、自分が大事にすることで生み出されるのですね。

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