善とは6

僕も体験して分かることですが、ダラダラと時間を過ごしていると、自分に自信が無くなってくる。それは自分にやってきた時間を無駄に過ごしてしまっているから。人生というのは一度しか無い大切なもの。その人生を刻んでゆく時間を無駄に過ごすとは、譬えるならば、自分を持ち物を傷つけたり、汚したりするようなもの。私も小学校のときに、感じたことですが、隣の女の子はカバーをつけて綺麗に教科書を使っているのに、僕の教科書ははじがすり減ってボロボロになっている。こういう教科書を見るとなんか自分って物を大事にできない人間なんだと思って自信が無くなりました。これと同じように、自分でもこれでもいけないと思っているのに、穢れてしまってどうすることもできず、ダラダラと時間を過ごしてしまうと、自分って時間を無駄に過ごしているなあと感じて自信が無くなる。もちろん、その現実をそのまま受け入れて、これではいけないと思って、自分を変えることができたらいいですが、現実はそんなには上手く行かず、時間を無駄に過ごすことによって失った自信を手っ取り早く、何かで埋めようとする。それがまわりの人を馬鹿にすること。馬鹿にするとは自分はできていないのに、できる所に立って相手を否定すること。馬鹿にしても自分ができていることならば、不安にはならないが、自分もできていないと他人を馬鹿にすると不安になる。相手の目を見ることが怖くなる。お前も出来ていないじゃないかと言われるのではないかと思って、まともに相手の目が見れなくなる。つまり、馬鹿にすると不安になる。これは唯識。自分が相手を馬鹿にすると自分も相手から馬鹿にされているように感じるから。本来なら、馬鹿にした人は、自分は馬鹿にされないようにやろうとする。でも、欲に流れている人は馬鹿にされないように頑張ることはできない。だから、馬鹿にすることで不安になる。それでも、馬鹿にしてしまうのはどうしてなのか。それは馬鹿にすると下に見るということ。下に見たら、自分は上になる。上になるとは自分はできる所に立てる。そして、出来る所に立てることで、自信が得られて、一時的に心は楽になる。

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