自分を大事にしたいと思ったら、物が出してあったら、それを定位に戻すことが大事だと思います。
反位を定位に戻す。
簡単なようだけど、心が緩んでしまうと、反位があっても、そのままにして定位に戻すことを後回しにする。
そうやって、段々と欲に流され、大事な時間を無駄に過ごすだけでなく、不安なこと、嫌なことを後回しにしてやらなくなる。そのうち、自分が動く時は責められないように動くだけで、それ以外の時間はいつも欲に流れることばかり考えるようになる。
責められたくないから動くのでは、それは畜生と同じ。
自分の人生を自分の思うように自由に生きてこそ、人間と言える。
欲に流されずに、自分の望むように生きる。
その為には、いつも自分の心に一定の気の張りがあることが必要。
それは如何に自分のことを大事な存在と思っているか、大事だからこそ、大事に生きなければならないと思うかで決まる。
でも、私たちは自分の存在を大事だと思えない。だからこそ、まず自分の身のまわりの物を大事にしてあげる。
物を大事にしたいと思うからこそ、出しっぱなしにしていたら可哀想だと思って片付ける。決して目の前にあると邪魔だから片付けるのではなく、放置されていることが可哀想だと思って片付ける。
この物を大事にしたいという思いは、やがて自分を大事にしたいという思いに変わる。
大事にするからこそ、大事に思えるようになる。
幸せとは、自分を大事にする所からしか生まれない。自分のことが大事だとは思えないからこそ、欲に流れ、責められたくないから動くようになる。
本当は自分の親が自分のことを大事にしてくれたならば、自分を大事に思えたのに。
でも、親は子供のことを大事にしているつもりで、時間があると欲に流れていた。だから、親も自分のことを大事な存在を大事だとは思えなかったのですね。
大事に思えないから、大事にできない。だから、自分のことが大事と思えない親から、自分のことを大事と思えない子供が育つ。
この流れを断ち切ることが、大事にすること。大事に思えないからこそ、大事にしてゆく。
欲に流れたいという心と戦い、自分とまわりの人を大事にしてゆく。
そうやって、自分のことを大事だと思えるようになったならば幸せですね。
反位を定位に戻す。自分を大事にする。大事にしたいという気持ちで物を大事にする。心を欲に流れないようにする。
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