十方諸有の衆生は 阿弥陀至徳の御名を聞き 真実信心いたりなば おおきに所聞を慶喜せん
十方とは大宇宙のこと。その大宇宙のすべての人の中で穢土から離れたい、浄土に往生したいと求めていながら、煩悩が強く功徳を積み上げることができないものを諸有という。浄土へ往生したいと求めているのに、一歩も前に進めない、進みたくても進めないと苦しんでいるものに、阿弥陀仏の呼び声が聞こえる。
阿弥陀仏の呼び声とは、私を照らして下さる光。私たちはどんなに自分にやってくる結果は自分の種まきだと因果の道理を聞いても、いざ自分のことを無視されると、なんでこんな目に遭わないといけないんだと、相手を責める心が起きてきます。その時、相手が悪いから、こんな心が起きたんだ。相手がこんなことをしなけれぱ、こんな心にならなくて済んだのにと、他人を責めている人には、阿弥陀仏の呼び声は聞こえない。阿弥陀仏の呼び声は、他人を責めたくはないのに、相手が悪い訳ではないのに、責める心が吹き上がり、どうすることもできない。この心、どうにもならないと苦しんでいる人に阿弥陀仏の呼び声が聞こえます。そうしたならば、真実信心を頂き、どんなに自分の心がどうにもならなくても、阿弥陀仏から頂いた真実信心が心の支えになって、二河白道を進んでゆくことができるようになるのです。だから、往生したいと思っていたその願いを果たすことができるので、頂いた真実信心に対して心から慶ばずにおれなくなるのです。
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