偸盗

殺生の強い人ほど、相手にとって自分が迷惑な存在だと思われることを嫌う。逆に殺生が少ない人は相手から自分の存在が迷惑だと思われたとしても、そんなに気にしない。それは迷惑だと思われたとしても、自分はここに存在してはならないと思わないから。殺生の根幹は自分はここに存在してはならないと思う心。だから、殺生の強い人ほど、まわりの人にとって自分は迷惑な存在にならないように気を遣う。これが次の偸盗。偸盗とは自分で自分を縛る心。常に自分の作り出した相手のイメージに対して、自分が迷惑な存在にならないように気を遣う。だから、偸盗の人は人と一緒にいると心休まることはない。常に相手にとって自分が迷惑な存在にならないように気を遣わなくてはならない。だから、偸盗の人ほど、一人になろうする。でも、一人になると寂しいから、人の中にいようとする。でも、人の中にいると、ちょっとした相手の言動に傷つく。それは少しでも相手が自分の存在を嫌だと思ったならば、自分はここにいない方がいいと思ったり、自分なんか消えてしまいたいと思ってしまう。これが殺生。殺生とは、邪魔者は消えろという心。だから、邪魔者にならないように気を遣うのが偸盗。でも、偸盗は自分の心の影をまわりの人に投影して、勝手に相手にとって自分は迷惑な存在にならないように気を遣う。だから、偸盗の人は常に何かに縛られているような感じがして、楽になりたいと思うようになる。この楽になりたいという心が強くなると、まわりの人で楽していい思いをしている人がいると妬ましくなり、自分もあの人と同じようになれたら幸せなのにと思ってしまう。これが盗み心。盗み心とは、相手がその立場になるのに、どれだけ苦労したかということは考えることなく、今、その人がいい思いをしているのを見て、ずるいと思ったり、手っ取り早く自分もその人が得たものが欲しいと思う心。でも、その根底には、いつも何かに縛られて苦しいという心がある。だから、どんなにこの人が地位や名誉や財産を手に入れて楽ができたとしても、心は楽にはならない。むしろ、いい思いをした分だけ、まわりの人から妬まれているように感じて、その人たちから自分の存在なんか居なくなればいいと思われているのではないかと感じて苦しむ。この心が殺生。偸盗とは、妬みの心。他人の幸せを喜ぶことができないから、自分も幸せにはなれない。

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