他人の死に触れる

人は必ず死ぬ。死というのは厳粛なもの。人は、他人の死に触れた時にこの人の人生は何だったのだろうかと考えずにはおれない。

金、金、金と追い求めた人も死んでゆく時には、何一つ持ってゆくことはできない。

どんなに地位や名誉を手に入れたとしても、死んで残るのはひとつまみの白骨。

そう考えた時に、人生とは何だろうと考えずにはおれない。

人は、裸で生まれて、裸で死んでゆく。一生かけてかき集めたものすべて置いて、何一つ持ってゆくことはできない。

持ってゆけるのは、己の業のみ。

人間とは、生きている時は、目に見える物質的な幸せのみを追いかけて求めているが、そうやって求めている間に自分の心からどんな思いを起こしているか目を向けることはない。

多くの場合、何かに執着して求めている間に起こしている感情は醜い罪悪ばかり、それは生きている時は自覚なく山のように造っていても、いざ、死を目の前にすると、その罪悪の報いが大きな不安となって、私の心を真っ暗にする。

その時、自分の人生何だったのかと悔やんでも遅い。

他人の死は、そんな誰にも待っている人生の最後を考えされるご縁。

この人は、死んでいったけど、どこへ逝ってしまったのか。

そんな厳粛な死を考えずにはおれない。それが他人の死に触れることなんだと思いました。

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