他人のために動くと不満が起きるのは

子供が当たり前のようにやってくれて当然と思って何かを頼んでくると、自分は召使いじゃないんだからと思って腹が立つ人がいる。
私もかつてはその人と同じだったのだが、だから、なんで自分がやらなければならないんだと思って子供にやらせようとする。
じゃあ、子供が自分のことは自分でできるようになったら、心はすっきりするのかと言えば、すっきりせず、少しでも他人の為に動かなければならなくなると、なんで自分がという気持ちになる。
それは他人が動いてくれないから腹が立つのではない。
自分が他人の為に動いてあげても、誰も自分のことを見てくれないから腹が立つのです。
つまり、私は寂しいのですね。寂しいから、他人から声をかけてもらいたい、見てもらいたいと思っている。
でも、ここでも、他人が動いてくれることを期待している。
本当は寂しいなら、自分が動けばいい。寂しいから、自分のことを見てくれないかと自分から声をかけていったらいい。
でも、それができないのは、声をかけても否定されるのが、怖いから。
でも、それは目の前の相手から否定されることが怖いのではなく、小さい時に親から否定されたことがトラウマになっているだけ。
だから、勇気を持って、自分の寂しさを癒やす為に自分から声をかけてゆく。
自分の為に動いてくれた人がいたら、自分のことを気にかけてくれてありがとうと声をかけてゆく。自分から声をかけてゆけば、自分の心は寂しくないし、他人の為にも気持ち良く動いてあげることができる。
寂しさを放っておいたのは、他人ではない、自分なんですね。

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