仏法は必要な教え

仏法には私たちが幸せになれる法則が説かれている。
でも、私たちは自分のやり方で幸せになれると思っているから、仏法を聞かないかと言われても、自分にとって必要だと思わない。
では、私たちはみんなどうしたら幸せになれると思っているのか?
それはお金や地位や名誉、財産を手に入れたら幸せになれると思っている。
では、これらのものを手に入れることによって、何がしたいのか?
それはこれらのものを手に入れたら、まわりの人から認めてもらえる。みんなから認めてもらいたいと思って求めているのです。
つまり、私たちはみんなから認めてもらいたいと思って生きている。
そして、認めてもらうことによって、自分はここに存在しているのだと感じて、幸せを感じている。
でも、多くの場合、この自分とは我。だから、臨終になると崩れてしまう。
つまり、我を満たしたいと思っている人生は臨終我が崩れることによって、今までの人生は何だったのかとなってしまう。
多くの人は、我を満たすために生きている。だから、これらの人の人生はみんな無意味な人生を生きていることになる。
でも、我が崩れると分かっていないから、自分の人生が無意味になると思えずに、我が自分だと思い込んで我を満たす為に頑張ってしまう。
みんな幸せは我を満たすことだと思っているから、仏法なんて必要ないと思っているが、この我が崩れるからこそ、仏法は聞かなければならない。
我に代わる本当の自分を教えられたのが仏法。だから、仏法を知らなければ、私たちは決して幸せにはなれないのですね。

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