仏教で整理は何の為にしなければならないのか?
仏教の整理とは、自分が好きなものを残すのではない。純粋に使っているものと使っていないものに分けて、使っていないものを捨てること。
私たちはいつも使う物にはお金をかけず、余り使わない物にお金をかける。今使っている物があっても、新しい物を探し、欲しいと思って物を買ってしまう。
そうやって、欲で買った物ほど、ほとんど使うことなく、使わないから新品同然で捨てるのが勿体なくて取っておこうとする。
不思議なもので、よく使った物ほど、捨てる時には執着することなく、気持ち良く捨てられる。
例えば、毎日使う歯ブラシを取っておこうとする人はいない。
だから、家の中で残っている物と言えば、いつも使っている物と欲で買ってほとんど使ってない物。
この使ってない物を捨てるのが整理。もちろん使ってない物を捨てるのは罪悪感がある。でも、それだからこそ、執着を断ち切って捨てる。
捨てることによって心の痛みになるように捨てる。
そうやって心の痛みになると、もうこんな使わない物にお金を使うことはやめようと思うようになる。
だから、買った物は使うようになる。
また、捨てようとした時、勿体なくて捨てられない物は無理して捨てるのではなく、使ってあげる。そうやって、使ってみると、なぜ自分が使わないか分かる。それは今の自分に合わないからだ。
例えば、使いにくいからかも知れないし、今の自分には合わないからかも知れない。また、着心地が悪いからかも知れない。
こういう物ほど高かった物が多い。高かったから捨てられないという気持ちも分かるが、今の自分にとって合わない物は今の自分に必要ない物だと思って捨てる。
そうすると、今の自分に合わない高い物も買わなくなる。
そうやって整理することで、今自分の持っている物はいつも使っている物にしてゆく。
いつか使う物、高い物を買わなくなると、お金が余ってくるようになる。このようなお金はどこに使ったらいいか?
それはいつも使っている物に使う。今まではいつも使っている物はどうせ使っているとダメになるからと思って安い物を買っていた。それを今まで買っていた物よりも、少しいい物を買ってゆく。
いつも使う物にお金をかけることによって、いつも使う物に心がかかり、大事に使おうと思うようになる。
このいつも使う物を大事にすること。それこそ仏教の整理の目的。
私たちはいつも使っている物ほど、すぐにダメになると思ってお金をかけない。お金をかけないから大事にならない。
でも、いつも使っている物こそ、自分の我のついている自分の分身。それを大事にしなければ、自分のことも大事な存在とは思えない。
いつも使っている物を大事にするからこそ、自分のことも大事に思える。自分を大事にするからこそ、自分のまわりの人たちも大事にしてゆく。
だからこそ、幸せになることができる。
いつも使っている物こそ大事なもの。その平凡な真理に気付く為に整理をしなけれぱねらないのです。
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