不諂心

不諂心とは、他人の顔色を窺って、他人から嫌われないように気を遣うこと。他人に気を遣うことは大切なことだが、その目的が他人を大切にしたいという思いならばいいが、それによって他人から自分のことを良く見られたいと思ってやったならば、その行いは諂になる。いつも相手のことは見ておらず、自分は他人からどう見られているかばかりが気になる。そうやって他人から良く見られる為に自分の正直な気持ちを我慢して言えなくなる。諂はなぜ悪なのかと言えば、他人から良く見られる為に自分の正直な気持ちを我慢したり、無視したりするから。そうやって自分の正直な気持ちに対してやったことは、それで終わることなく、怒りや憎しみになって跳ね返る。本当は自分の正直な気持ちを無視しているのは自分なのに、他人が自分のことを無視しているように感じて、悲しく思ったり、反対に無視し返したりする。また、他人から良く見られる為に自分の気持ちを我慢すると、ちょっとしたことで自分の気持ちを押さえつけられているように感じて苦しくなる。だから、他人と一緒にいることは苦しいことだと思って一人になったり、他人を支配して自分が上に立つことで思い通りに他人を動かし安心しようとする。このように他人から良く見られる為に自分の気持ちを我慢したり無視すると、必ずその反動で悪をするので、他人から良く見られる為に自分の気持ちを犠牲にすることは悪だと言われるのです。

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