うちまかせるしかない

心を見ると私の心って大きな喪失感で一杯で毎日生きているのも、ただ時間が流れてゆくだけで、これと言って自分の中で燃え上がるものがない。それが私の今の心。それが仏法を伝えずにはおれない。仏法を触れずにはおれない。こんな心になっているのは不思議だなと思います。人生って大きな失敗をすると今まで信じてきた何かが崩され生きる目標を失う。そこから自分の心を立て直すことは並大抵のことではできない。自分の信じていたものが崩れる。それは今まで自分だと思っていたアイデンティティを失うことでもある。そうなると目的地も見えない難破船に揺られているようなもので自分は何の為に生きているのかも分からずただ時間が過ぎてゆくように感じる。これが今の私の心。でも、こうなって初めて、阿弥陀仏のお力にすがるしかないと思えるようになった。今の私の心は阿弥陀仏によって支えてもらっている。普通ならば、こんなにも木っ端みじんに我が崩されたならば、生きていても生きる屍。廃人になってしまう。それでも生きよう。人生をやり直そうと思う心。これが阿弥陀仏のお力。もう私の人生は終わったようなもの。だから、残りの人生。阿弥陀仏は私に何を見せようとしているのか。すべては阿弥陀仏にうちまかせて生きてみようと思う。生きているのじゃない。生かされているのだと思って死が私の命を奪う所まで生きてみようと思います。

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