飲酒という罪悪

邪欲は相手に気を遣いたくないから、馬鹿にする心。そして、相手を馬鹿にすることで、自分の思い通りに振る舞う。そうなると、自分は思い通りに振る舞っているのに、相手が思い通りにしていると、自分の存在を無視されているように感じて、また、馬鹿にされているような感じがして、怒りを起こし、権力がある人は力をもって、相手の思いを踏み潰す。
一度力で相手の思いを踏みつぶすと、もう相手が自分の思い通りにならないことが許せなくなる。相手が思い通りにならないだけで、自分はなんて無力な存在だと感じるから、そう思いたくないので、徹底的に思い通りにならない相手を否定し、言うことを聞かせようとする。しかし、権力を失って思い通りにならないと知らされると、自分が思いを通してきた分だけ、自分が責められているように感じて、欲で現実を誤魔化さなくてはならなくなる。これが飲酒。この人の心には、みんながいつも思い通りに楽しく振る舞っているように感じて、それが許せなくて苦しいし、それをどうすることもできない自分が惨めで自分を責めずにはおれない。自分なんかどうなってもいいという思いで現実逃避してゆく。この人にとって、みんなが思い通りに楽しくしていることが許せない。そして、許せないのに、何もできない無力な自分が惨め。そんな自分を見たくないから、欲で現実を誤魔化してゆく。これが飲酒という罪悪なのです。

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