菩薩は他人を責めないから地獄の苦を静かに忍ぶことができる

菩薩は自ら地獄の中に飛び込み、苦しんでいる人を救う。それは菩薩は地獄の苦を受けて、業火を受けたとしても、目には目を、歯には歯をと自分の受けた苦しみを他人のせいにして責めることがないからだ。
苦しみとは、自分の受けた苦しみを静かに忍ぶことができず、誰かのせいにして責めることで、わずかな苦しみも大きな苦しみのように感じて耐えられなくなる。
だが、菩薩はどんなに自分が苦しくても他人を責めることはしない。受けた苦しみは自分が受けてゆかなければならないと静かに忍ぶ。だから、大きな苦しみも小さな苦しみのように感じて苦しくない。
苦しみとは、責めるから苦しくなる。それは責める人は自分が苦しみに耐えてゆこうと思っていないからだ。だから、すべての苦しみを我慢する。自分が耐えてゆかなければならないと思っていない苦しみは我慢にしかならない。そして、この我慢こそ、すればするほど、苦しみが自分の中に溜まり、業火が吹き出し、自分の身を焼く。だから、火を吐くように他人を責めてしまう。責めると今度はどうにもならない不安と刃のような痛みが自分に襲ってくる。私たちは楽になりたいと思っているからこそ、余計苦しまなければならない。菩薩はどんなに苦しくても責めたら余計苦しまなければならないと知っているので、責めることはしない。責めないから苦しみも少なくて済む。だから、菩薩は地獄の苦を受けても、その中で苦しむことはないのです。

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