自灯明法灯明

お釈迦様は亡くなられる時、これからは自らを明かりとし、法を明かりにしなさいと仰いました。
これはどういうことか?
まず、法を明かりにしなさいというのは、仏教の教えを深く理解し、その教えに従って生きてゆきなさいということです。
人生とは、見渡す限り水平線の大海の中に漂流して、当て所もなく流されているようなものです。その中で、私たちは思い思いの方向に向かって泳いで進んでいます。しかし、その先に何が待っているのか。自分の苦労は報われるのか。幸せはあるのか。そんなことも分からず、ただ今自分が進んでいる道が正しいと信じて泳いでいます。
しかし、多くの場合、私たちが信じる方向には幸せはなく、無常によって今までの苦労が無駄に終わり、報われない人生を送っています。
そんな中、唯一正しい方向を指し示しているものが仏法。仏法だけが、苦しみの人生を明るい幸せな人生へと導く羅針盤なのです。
だからこそ、私たちは自分の考えを捨て、仏法に何が教えられているかを深く知り、その教えに従って生きてゆかなければならないのです。
だが、どんなに仏法に従いなさいと言われても、書かれていることを鵜呑みにして従っても、それは仏法に従っていることにはならない。
それは仏法は言葉にならない真理を教えられたものだからです。
だからこそ、仏法の教えを学び、疑問に思ったことをとことんまで問いかける。その時に仏法に詳しい人がいたならば、その人に聞く。大事なことは、自分が納得するところまで、この教えは何を言わんとしているか追求してゆくことが大切なことなのです。 
これを自らを明かりにしなさいということです。
仏法とは教えをものさしにして進む。その時、この教えは何が教えられているかということを自分が納得するところまで、求め、尋ね、自分のものにする。
そして、自分が納得した教えに自分も従い、他人にも伝えてゆく。そういう教えなのです。
これが自らを明かりにし、法を明かりにしなさいということなのです。

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