自分を大事にするとは

仏教とは自分を大事にする教え。
自分を大事にするとは、どういうことか?
私たちには感情がある。どんなに正しいことでも、それを無理やり従わせたら、自分の心は傷つく。
だから、自分の心がやろうとするまで、自分の感情を待ってあげること。それが自分を大事にするということ。
自分を大事にするということが分からない人は、自分が他人に対してどのように接しているか。それによって自分に対してどう接しているか見たらいい。
私たちは自分に対してやっているように、他人に対してやっている。相手が間違ったことをした時に、これが正しいことだと相手の間違いを否定してはいないか。たとえ口には出してなかったとしても、心の中で相手を否定する心はないか。
このようにやっている人は、自分に対してもやっている。いつも正しいことに従わなければならないと思っているし、従えなかった時には、自分の心を容赦なく責める。
まるで自分の体にこれが正しい形だと理想的な人間の形に合わせて線を引き、それに合わない所をナイフで切り落とすようなもので、自分も他人も正しさに従わせる為に間違った所を否定している。
この人は、間違った所があれば、否定すれば、正されると思っているし、正す為なら、どんなに相手の感情が傷ついても何とも思わない。
確かにこれは正しいことだと強制したら、形だけは従うことはできる。しかし、心はどんなに正しくてもすぐに従えるものではない。
自分を大事にするとは、この正しさに従えない心に対し、否定して、無理やり正しさに従わせるのではなく、自分からやろうと思うようになるまで、この心を大事に思って付き合う。
この付き合うというのが大事。人間には感情がある。だから、この感情を大事にしたいと思ったら、思い通りにならないことがたくさんある。この時、思い通りにならないからと言って、腹を立てて、すぐに思い通りにしようとはせず、すぐに思い通りにならなくても仕方ないと思って待つ。
相手を待つことができるようになると、自分に対しても、思い通りにならなくても、すぐに何とかしなければと自分を責めることはなくなり、思い通りにならないなら、ならないで仕方ないと思い通りにならない現実の中で静かに忍ぶことができるようになる。
正しいことはもちろん従わなければならない。でも、それはすぐに従わなければダメだというものではなく、たとえ時間がかかったとしても、心から従えるように心を導くことが大事。
大事にするとは、自分の心を大事にすること。それは心が思っていることを何でも叶えることではなく、心を正しい方向へ導くこと。この時、思い通りにならない心に対してつき合わなければならない。この付き合うというのが大事にすること。
子供なら、やりたいようにやらせていたら、親は子供につき合わなくて済む。楽チン。でも、それは大事にしていることにはならない。大事にするとは、これは正しいことだと教えてゆく。
でも、教えたからと言って、相手がそのようにする訳ではない。だから、付き合う。相手が正しい方向に進むようになるまで、そばにいて、何度も何度も教えてあげる。この時、思い通りにならないからと言って責めてやらせようとするのではなく、思い通りにならない相手と付き合い、やってもらえるように動かしてゆく。
思い通りにならない自分、相手を見捨てず、つき合ってゆく。つき合ってゆくからこそ、相手も自分も大事な存在だと思えるようになるし、大事にできる。
自分を大事にするとは、思い通りにならない自分も相手も見捨てることなく、付き合い続けてゆくことなんですね。

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