自分の悪を認めることが苦しみから離れる為に必要なこと

幸せになる為には、他人から自分はどう見られているかということで、自分を判断するのではなく、自分の心でいつもどんな心を思っているかによって、自分というものを判断できるようにならくてはならない。
自分の心を見て、自分とはどんな人間かを知ることができたならば、もう他人から自分はどう見られるかによって一喜一憂する必要はない。
でも、私たちが他人の目に振り回されるのは、自分の心でろくなことを思っていないから。だから、自分の心を見たら、とても自分とは良い人間とは思えなくなってしまう。
私たちは自分の存在を善い人間だと思いたい。それは悪人だと見捨てられると思っているから。でも、悪人だから、見捨てるのは、他人ではなく、自分が都合の悪い存在を悪人だと決めつけ、見捨てている。
そして、悪人を見捨てているから、自分も悪人だと見捨てられると思って、自分の心の中にある悪を認められない。
だから、自分は善人だとしか思えないし、他人から善人だと扱って欲しい。でも、どんなに他人から善人のように扱ってもらったとしても、心の中で思っていることが良くないことだから、どこかで自分は悪い存在ではないかと不安になる。
その不安から、余計自分は善人だと思おうとして、自分の存在を善人だと見てくれると安心するが、善人だと見てくれない存在には否定して、自分は善人だという所に立とうとする。
つまり、自分の心で思っていることが自分なんだと思えるようになるには、心の中で悪いことや醜いこと、汚いことを思っていたとしても、これもまた自分なんだと認めることが必要。
自分の悪を認められた時に私たちは真に苦しみから離れられると思いました。

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