自分のものになるものは何一つない

私たちは一度自分のものにしたものを整理して、自分のものじゃなくなるのが怖い。
それによって、すべては借り物の人生だと分かってしまうから。
人生とは所詮借り物。
何かを自分のものにしたとしても、永遠に自分のものになるものは何一つない。
でも、それが分かりたくなくて、自分の我をつけたものだけは永遠に変わらないと思っている。
でも、その思い込みを打ち砕くのが無常。無常は自分の世界の真実を見せる。
それはこの世の中何か一つでも自分のものになるものはないという真実。
私たちはこの真実を否定して、これだけは永遠に変わらないと思って我をつけている。
そこから執着が生まれ、執着しているものを失うという苦しみが生まれる。
苦しみは無常を否定している所から生まれる。
私たちは無常を認めていないから、無常の世の中で自分の信じているものだけは裏切らないと思ってすがっている。
でも、無常は必ずやってくる。私たちは無常を否定しているので、自分にも世界にも変わらないものだと思って我をつけて、安心して生きているが、自分も世界も刻一刻と変わっている。
だから、どんなに無常を否定しても、必ずやってくる。
その時、変化してしまったものを見て、まだ変わってしまったということが認められず、変わらなかった昔に執着しているから、私たちは苦しむ。
仏教は執着から離れてゆく教え。それはこの世の中で何か一つでも自分のものになるものはないという真理を受け入れてゆくことで離れることができる。
この世の真実を知ることは苦しいこと。
でも、それを受け入れなければ、いつまでも変わってしまったものを変わってしまったと受け入れることができず苦しまなければならない。
執着は苦しみしか生み出さないのですね。

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