省みよ、日に幾たびも省みよ

他人から注意をされた時、素直に自分の間違いを認めることは難しいなと思います。口ではごめんなさいと言いながらも、心の中では、でも~…、と言い訳の心や反発の心がムクムクと吹き上がってくる。

それはきっと自分の中の自分とはいってもこんな人間だというイメージを変えたくないのだと思うからだと思います。

人間とは誰しも自分はこんな人間だというイメージを持っている。

そのイメージの通りに自分は行動していると思っているし、他人からも見てもらいたいと思っている。

だから、他人から注意されることによって、相手が勝手にあなたはこんな人間なんだとあるイメージを押し付けて来ようとすると素直にそうなんだねと受け入れることができずに反発してしまう。

でも、考えてみたら、自分という存在は他人があなたはこんな人間なんだと押し付けてきたからと言って変わるものではない。

ライオンは謗られても百獣の王であるライオンであるように、また、豚はどんなに褒められても豚であるように、自分の本質というものは他人の見方によって、コロコロ変わるものではない。

私が他人の意見を意見として素直に受け止めることが出来ずに、反発してしまうのは、それだけ他人の意見によって変わることのない自分を見ていないからだと思います。

省みよ、日に幾たびも省みよという言葉があるように、自分を省みる時間を取ることが人間として大切なことなんだと思いました。

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