相手を通して自分を見ている。

人は自分の心で世界を見る。だから、少し自分のことを冷たくされただけで、相手は自分のことが嫌だから、こんなことをしたんじゃないかと思ってしまう。

この自分のことを嫌じゃないかと思う心、これが唯識。このように思うのは日頃から相手は自分の存在を嫌だと思っているのではないかという声なき声が聞こえているから、ちょっとした縁でもそう思えてしまう。

本当は相手は私のことを嫌とは思ってはいないかも知れない。それどころか、大事な存在だと思っているかも知れないのに、自分の思い込みで相手はこう思っているのだと思ってしまうと、自分の思い込みを信じて、本当はそれは違うのではないかと思うことがない。

そして、自分のことを嫌だと思っているということを前提として、こんな風に思われるならば、もうこの人と一緒にいたくないと思ってゆく。

他人の心は分からない。だから、この人はこう思っているのではないかと、他人の心を判断しているのは、他人の心を通して、自分の心を見ているだけ。つまり、相手はこういう人間だということではなくて、自分はこういう人間だということ。だから、それに対してあれこれ思うのは、自分に対して思っていること。例えば、相手は自分のことを嫌だと思っているのではないかと思うのは、自分が思い通りにならない相手に対して、それが自分であれ、他人であれ、嫌だと思っていることであり、そんな嫌なものに対して見たくないと思っているということ。

思いを見れば、心が分かる。自分が見ている相手は、自分なんだと思って、自分の心を見てゆかなければならないなと思いました。

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